平成18年(2006)秋、上野公園から撤去され、オランダ大使館の倉庫に保管されていた神戸初代領事アルベルト・J・ボードワンの像が、去る(平成22年)10月22日(金)神戸市ポートアイランド北公園に設置され、39年に亘る、オランダ人兄弟の人違いミステリーも一件落着となりました。

 当初、上野公園から撤去された弟の像は、長崎の出島に建てるのが一番ふさわしいのではとの声もあり、早々に出島に建て替えられるものと思っていましたが、出島には多くの有名なオランダ人が関係していて、ボードワン像だけを建てることはできないということで、話が宙に浮いてしまいました。

 そんな折、ディルクヤン・コップ前在大阪・神戸オランダ総領事から「神戸に設置してはどうか?」との話があったのが、2008年の6月の事でした。

 人違いとはいえ、上野公園で33年間「上野公園生みの親」として親しまれた胸像です。「一日も早く陽のあたる処に出してあげたい」という思いでしたが、昨年(2009)2月、ディルクヤン・コップ前在大阪・神戸オランダ総領事が神戸の矢田立郎市長に手紙で胸像寄贈を申し出られ、本年7月神戸市から胸像設置受け入れの許可が下り、今回の除幕式となりました。

不思議な因縁を感じる120年

 上野公園の「ボードワン博士胸像の取り違え」を教えられたのが、アントニウス・F・ボードワン博士がなくなって120年目の平成17年(2005)でした。そこで建て替えの活動を起こし、翌年上野公園開園130年の平成18年(2006)年10月6日、弟のアルベルト・J・ボードワン像からアントニウス・F・ボードワン博士本人の胸像に取りかえました。

 今回、在大阪・神戸オランダ総領事館の計らいと神戸市のご理解と協力により、神戸市ポートアイランド北公園の異人館そばにアルベルト・J・ボードワン像が設置されましたが、本年はアルベルトが亡くなって120年目の節目の年になります。

 上野公園での除幕式は、台風最接近横殴りの雨のため正式な除幕式は中止となり、非公式な除幕式となりました。そのようなことで、今回も天気が一番気になるところでしたが、除幕式当日は曇り空ながらも、開会時には薄日が差す天気に恵まれ、一件落着となりました。120年目という不思議な縁を感じ、ボードワン兄弟の魂は120年経った今もまだ生きている。そんな事を感じさせられました。

 今回も多くのマスコミに紹介され、無事除幕式を終えることができました。以下主な新聞記事を掲載させていただき、ご協力いただいた多くの方へのご報告と致します。

先ず今回の事業は、8月14日読売新聞朝刊で紹介されスタートしました。


東京では8月15日、東京新聞で2ページ見開きで大きく詳しく紹介されました。


 9月30日には毎日新聞でも大きく紹介下さり、10月13日オランダ大使館に、アルベルト・J・ボードワン胸像を引き取りに伺った時は、兄弟最後の対面ということで、大使館から、マリオン・ペニンク文化・報道担当参事官とバルクス・バス広報・文化担当官と共に上野公園へ直行。
A・F・ボードワン没年の1885年から数えて125年ぶりとなる兄弟の再会をしていただきました。
 上野観光連盟の方々も、33年間なじみ親しまれた懐かしいボードワン像にお別れしようと大勢お集まり下さいました。その上、法性寺から準備をした、ボードワン兄弟の日本におけるそれぞれの功績を紹介したカード(右写真)を添付した「チュウリップ」の球根セット(5個入り)50組を、来園者にお配り頂きました。
 このチュウリップの球根を使ってのボードワン兄弟の功績を顕彰する活動は今後も続けていきたいと思っています。

 当日、朝日新聞の取材があり、翌日14日の朝刊では、「青鉛筆」の欄で全国紹介されました。


神戸設置の記事は「朝日新聞夕刊」トップ記事で紹介


朝日新聞トップ記事の全文を紹介します。

ゆかり神戸 晴れて「移住」
兄と間違われ上野公園に33年
弟の胸像第二の人生
初代領事ボードワン


 東京・上野公園の「生みの親」として公園内に33年も飾られていた一人のオランダ人の胸像が、神戸市に移された。26年前に兄と間違えられていたことが判明。その後も兄として公園に居続けていたが、4年前に兄の胸像が新設され、行き場を失いかけていた。関係者の尽力で、ゆかりの地・神戸に落ち着くことになった。神戸港を望む公園で22日午後、除幕式がある。 (日比野容子)

見た目でミス?
 弟は幕末に来日したアルベルト・ボードワン(1829〜90)。1868年の神戸開港とともに、在神戸オランダ領事館の初代領事に就任した。
 兄は、東京・上野公園の「生みの親」として知られるアントニウス・ボードワン(1820〜85)。江戸幕府の招きで来日。長崎・出島や大阪仮病院(現・大阪大学医学部)で教えた「日本の西洋医学の祖」の一人だ。
 37年前、オランダ政府は、上野公園の創設100年を記念して、公園の生みの親である兄の胸像を制作し、東京都に寄贈した。
 ところが、11年後の1984年、胸像のモデルが実は弟だったことが明らかになる。医学史を研究していた岡山県の医師が、オランダの大学教授から教えられ、新聞紙上で指摘した。
 在大阪オランダ総領事館によると、胸像制作の際にオランダ政府から写真提供を依頼された親族が、間違えて弟の写真を提供したらしい。ジュリアン・リクード報道文化担当官は「若はげだった弟の方が年上に見えたんでしょう」と推測する。
 しかし、取り違えがわかった後も、弟の胸像は兄として公園に飾られ続けた。

大使館お蔵入り
 さらに21年たった2005年、今度は大阪市中央区の法性寺の住職を務める山本信行さん(63)が取り違えを知った。
 兄は1869(明治2)年から約1年間、寺に下宿していた。写真をもとに建てた顕彰碑が境内にあり、山本さんはひと目で別人とわかったという。

「これはいかん」

 その年はくしくも兄の没後120年。「許可さえいただければ、建て替え費用は全部こちらで集める」。東京都やオランダ側を説得。全国から集めた約400万円の寄付金で、翌年、造り直した兄の胸像を設置した。一方、弟の胸像は、オランダ大使館の倉庫にお蔵入りしてしまった。
 「第二の人生をどこかで歩ませたい」。オランダのディルクヤン・コップ前総領事が昨年2月、神戸市の矢田立郎市長に手紙で訴え、神戸市は神戸港を望むポートアイランドの公園に迎えることにした。
 最近になって、寺には弟も立ち寄っていたことがわかった。「制作から37年。やっとのことで安住の地が見つかり、本当にほっとしました」と山本さん。除幕式に参列し、胸像の前途を市長や総領事とともに祝う予定だ。

 また、翌23日には大阪日日新聞、毎日新聞神戸版でも紹介され、テレビでは22日の夕方と午後8時45分からのNHK神戸ニュースでも紹介されました。




今回も多くの方にご協力いただきました。法性寺ではこれからもボードワン兄弟の功績を顕彰し、日蘭友好の活動を続けていきたいと思っています。有難うございました。






トップへもどる