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大黒堂 大黒堂は、昭和60年から3年間、不用品バザー「大黒さんのガラクタ市」を開き、その浄財で平成元年建立されました。「塵も積もれば山となる」小さなお堂ですが、血のにじむようなお堂です。 |
大黒天 江戸時代に勧請された大黒さま(江戸後期に書かれた浜松歌国の随筆「摂陽奇観巻の四十一」に詳しく書かれています。)は昭和20年の空襲で焼失しました。 昭和59年甲子(大黒さんの年)の正月、昭和54年荒行堂で授与された大黒天に法性寺の復興を祈願している時「大黒天を勧請して寺の復興を祈れ」との霊示を受け、焼失した大黒天を一回り大きく復興し、日蓮宗大荒行堂に入行して開眼入魂しました。 『摂陽奇観』巻の四十一=寛政3年(1791)の条に、「8月20日夜、京大坂大風(中略)八丁目寺町法性寺小坂の男松折れる。小坂の男松といへる古松(小坂村の地也)枝葉繁茂してありしが、当8月の大風に吹き折られたり、その古樹を以って大黒天三体を彫刻なし、一体は洛陽の本山(京都の「妙覚寺」)へ送り、二体は寺中に勧進して宗門の守護神とす」とあります。 お寺の記録には大黒様の裏書に「當境内巽方凡経千歳在大木以此真木今茲彫刻…。寛政3年 辛亥12月甲子日奉謹開眼」とあり、「具足山・妙覚寺傳法付嘱49代 日遂花押。摂津大坂榮福山法性寺。願主当住・泰恵院日春聖人合掌」とあります。そしてこのお像の内側には「皇都法華大仏師林如水作之」と書かれており、身丈三尺の大黒さまが作られました。 |