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秋田実の本名は林広次といい、幼名を熊王丸といったそうで、日蓮聖人に仕 ![]() 谷町の妙経寺に眠る長沖一とともに、大阪高校文科から東大に入り、大阪にもどって働くこととなります。 秋田は頭の回転がよく理数系が得意でしたが、後年漫才作家として活躍し、エンタツ・アチャコの「早慶戦」をはじめ、それまでの音曲中心の『萬歳』、を会話中心の『しゃべくり漫才』に変えた功績は大きく、当時の人気漫才、秋田A助・B助、蝶々・雄二、いとし・こいしなど殆どがその恩恵に浴しています。 他に、大阪市助役の菅沼達吉の顕彰碑があります。達吉は、俳優森繁久弥の父親です。 |