妙 徳 寺
大阪市中央区中寺1−2−4

薬王寺と一筋はさんで北隣に妙徳寺があります。

このお寺には明治から大正にかけて活躍した歌舞伎役者二代目中村梅玉のお墓があります。
二代目中村梅玉 (1841〜1921)

 梅玉は京都五条坂で、釘鍛冶屋徳兵衛の子として生れ、本名を笹木徳数といいました。
 大阪に出て、山村友五郎について踊りを稽古、弘化三年女形藤岡仙菊の弟子となり、藤岡菊太郎と名乗りました。のちに中村玉七の門に入ったり、三桝大五郎の養子となったりしましたが、明治元年、三世中村福助を襲名し、人気役者となりました。
 特に同十四年の日蓮聖人役は大好評で、福助の当たり役となり、全国を巡演し、人気もますます上がりました。
 その恩返しにと身延山へ、当時の金で千円を寄進し、菩提寺へも日蓮聖人坐像を建立寄進しました。残念ながらこの坐像は、戦災で焼失してしまいました。
 日蓮宗の熱心な中村歌右衛門のお墓を真心をもって守りつとめたのが縁で、歌右衛門の俳名梅玉をゆずり受け、明治四十年、二代め梅玉と改めました。
給仕を怠らなかった梅玉は死の当日、朝お風呂でお題目を唱えていましたが、声が途切れたので付き人がのぞいてみると亡くなっていたといいます。梅玉らしい最期でした。
〔梅林院宗徳日善信士〕